桜アンティキテ

桜アンティキテとは

フランス文化を基本とした衣食住のトータルコーディネイト

 

店主のストーリー

アンティークとの出会い

子供の頃から古いものを集めるのが好きでした。

岩石や鉱物の標本を作ったり、貝塚や昔海だった地層から大きな巻貝などを掘り出したりしていました。埋め立てや道路補修のため運び込んだ石の中から鉱物の結晶を見つけた時は、宝石でも発見したような喜びでした。
これは全て東京での話ですが、普通に転がっている石もよく見ると、「古生代に生息していたフズリナの化石だった」と言うこともありました。

 

10代でヨーロッパのインテリアに興味

1970年代始め、叔母の店が新宿小田急ハルクにあった事からよく遊びに行き、ついでに家具売り場を見に行っていました。当時10代の私はインテリアにとても興味があり、スカンジナビアの家具やハーマンミラーのオットマンチェアーを見ては「良いなー」と思っていました。

その頃、紀伊国屋書店でたまたま見つけたアメリカのインテリア雑誌「House&Garden」の中に、衝撃的な1枚の写真がありました。それはセントラルパークを見下ろすマンションの一室でした。
当時日本で「応接セット」と言えば、長椅子の向かいに肘掛け椅子を2脚並べて配置するのがお決まりのスタイルでしたが、この写真は真っ白な長椅子を対面向かい合わせに置き、中央にシノワズリー調の黒檀テーブルが配置されていました。この写真を見て、将来「インテリアに関わる仕事をする」という夢が一気に膨らみました。

 

アール・ヌーヴォーに目覚め、その後ロココ調に

1970年代中頃からアンティークに興味を持ち始めましたが、最初に好きになったのはアール・ヌーボーでした。
青山の骨董通りや、原宿のアンティークショップに通い、私が掘り出し物を探し出しては、後日アンティークが好きだった叔母を誘って一緒に見に行きました。
丁度その頃「THE西洋骨董」と言う読売新聞社発行の雑誌が出版され、色々なジャンルに興味が湧いてきました。デコルシモンやイギリスのリバティーがお気に入りでしたが、中々国内でこれといった出会いはありませんでした。

毎年高輪プリンスで開催される「高輪会」も楽しみでした。当時は家具など大物も沢山あり徐々に興味がヌーボーからロココに移って来ました。

 

イギリスで本物のアンティークと出会う

70年代後半、高校卒業後イギリスに語学留学しました。現地では休みの度にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に通っていました。そこには日本では目にする事が出来ないような物が沢山あり、好きだったリバティーの作品も見る事が出来ました。

学生の分際では当然高価なアンティークを買う事は出来ず、オールドボンドストリートにある美術書専門書店でアール・ヌーボーに関する本を沢山買い込み、下宿で読みふけっていました。
そしてある時、顔なじみになったヌーボー専門の骨董品店の店主が「今朝凄いのが入った」と見せてくれたのが、なんとリバティーのシルバーのオブジェでした。
それは美術館クラスの一品でした…

 

ヨーロッパ、フランスのアンティークショップ開店

それから20年経った1997年、西麻布に最初の西洋アンティークショップをオープンしました。その頃実家が経営する洋品店でアクセサリーも扱っていましたが、何か物足りなさを感じていました。そして、パリに仕入れに行った際にヴィンテージのコスチューム・ジュエリーに出会った事がきっかけとなり、取り扱いを始めました。

アンティークとは紀元前より人間が作り続けた創造物で、それは神に捧げるものであったり、王侯貴族階級や富裕商人、及び庶民が使用していた日用品だったりします。それらの物は時代の流れで淘汰された人類の遺産で、これからも残り続けるでしょう。

 

桜アンティキテでは、これらの物を衣食住のカテゴリーに分け、私なりに良いと感じるクオリティーのものを厳選し、ふさわしいと思うスタイルで組み合わせるなど、分かりやすくコンテンツ化して販売しています。

アンティークとの出会いは人それぞれですが、当サイト、当店にお越しのお客様に「こう言った使い方も有るのでは?」というご提案をさせて頂き、その方のライフスタイルに合った組み合わせをお手伝いする事ができれば幸いです。

 

店主 石井一男