桜アンティキテ

桜アンティキテとは

フランス文化を基軸とした「衣・食・住」のトータルコーディネイトを提唱するメゾンです

17〜20世紀ヨーロッパのアンティークを通じて、時を超えるエレガンスとアール・ド・ヴ
ィーヴル(暮らしの芸術)の精神を伝えています。

 

店主のストーリー

アンティークとの出会い

幼い頃から、私は古いものに不思議な魅力を感じていました。

岩石や鉱物の標本を作ったり、貝塚やかつて海だった地層から巻貝を掘り出したり。埋め立てや道路工事で運び込まれた石の中に結晶を見つけたときは、宝石を発見したような喜びを覚えました。

東京という都市の中でも、よく見ると身近な石が「古生代のフズリナの化石だった」ということもありました。

図鑑で見ていた三億年前の化石を手にした瞬間、

その小さな形の中に“はるか昔の世界”が息づいているように感じ、子どもながらに、時間というものを初めて意識した気がしました。

ヨーロッパのインテリアとの出会い

1970年代初め、叔母が新宿・小田急ハルクで店を営んでいたことから、よく遊びに行き、家具売り場を歩き回りました。

十代の私はすでにインテリアに強い関心を持ち、スカンジナビアの家具やハーマンミラーのチェアを眺めながら、「美しい暮らし」とは何かを考えていました。

ある日、紀伊國屋書店で偶然手にしたアメリカのインテリア誌『House & Garden』。

その中の一枚の写真━━セントラルパークを見下ろすマンションの一室━━が、私の人生を変えました。

白い長椅子が対面に配され、中央にシノワズリー調の黒檀テーブル。

当時の日本の「応接セット」とはまるで異なる感性の世界でした。

その瞬間、「美を通して空間を創造する」という夢が明確に形を成したのです。

アール・ヌーヴォーへの傾倒、そしてロココへ

1970年代半ば、私はアンティークの世界に足を踏み入れました。

最初に惹かれたのはアール・ヌーヴォー。

青山の骨董通りや原宿のアンティークショップを巡り、掘り出し物を探しては、アンティーク好きの叔母を誘って一緒に訪ねました。

当時刊行された読売新聞社の雑誌『THE 西洋骨董』をきっかけに、興味はさらに広がりました。

デコルシモンやイギリスのリバティーの作品に魅了されながら、毎年楽しみにしていた高輪プリンスの「高輪会」では、家具や装飾の大作に触れ、次第にアール・ヌーヴォーからロココへと関心が移っていきました。

装飾の中に宿る「時代の精神」を感じ取るようになったのです。

イギリスでの本物との邂逅

1970年代後半、高校卒業後にイギリスへ語学留学しました。

休みのたびにロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館を訪れ、日本では見ることのできない数々の芸術作品に触れました。

中でも憧れていたリバティーの作品を目にしたときの感動は、今も忘れられません。

学生という立場では高価なアンティークを買うことはできず、オールド・ボンド・ストリートの美術書専門店でアール・ヌーヴォーの書籍を集めては、下宿で夜遅くまでページをめくっていました。

そんなある日、顔なじみになったヌーヴォー専門の骨董商が、開口一番こう言いました。

「今朝、すごいものが入ったんだ」

期待と緊張が入り混じる中で見せられたのは、リバティーの銀製オブジェ━━まさに美術館級の逸品でした。

その瞬間、胸の奥で何かが静かに震え、「真の美」と「時を超える価値」というものを初めて自分の眼で確かめた気がしました。

桜アンティキテの誕生

それから二十年後の1997年、西麻布に最初の西洋アンティークショップを開きました。

実家の洋品店でアクセサリーを扱っていた頃、どこか物足りなさを感じていた私は、パリで出会ったヴィンテージ・コスチュームジュエリーに心を奪われました。

その出会いこそが、桜アンティキテ誕生の原点です。

アンティークとは、紀元前から人が作り続けてきた創造の結晶。

神々への祈りの象徴であり、王侯貴族や商人、庶民の日常を彩った道具でもあります。

それらは時代を超えて受け継がれる「人類の記憶」であり、桜アンティキテはその精神を現代の暮らしの中に再び息づかせたいと考えています。

桜アンティキテの理念

桜アンティキテは、アンティークを「衣・食・住」の三つの領域に分け、美と調和の精神をもってコーディネートすることを提唱するメゾンです。

それぞれの品がもつ物語を紡ぎ合わせ、「時を超えて美が息づく空間」を創り出すこと━━それが、桜アンティキテの理念です。

アンティークとの出会いは人それぞれですが、このメゾンを訪れた方々が、新たな美の視点と生き方のヒントを見いだしてくださることを願っています。

店主 石井一男